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10.12(Sun)06:26|コメント(-)|トラックバック(-)|Top↑
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#4 Not Subject

はじめまして、しまと申します。
KOJIさんのところからきました。

少し記事を読ませてもらいましたが、
なかなか、面白い記事をかかれてたので、
足跡を残させていただきますね。

ちなみに額縁についてですが、
仮に私がフェラーリに乗ってたとします。
すると、周りの目は、『フェラーリに乗ってるぐらいだから、
凄いやつなんじゃないか』という目で見られることでしょう。
例え私が全然凄くなくてもです。

今度は逆に私がなにか大きな事業で成功して、
フェラーリを手に入れたとします。
すると回りは、『あれだけ稼いでるんだから、
フェラーリなんだな』というような目線で見られるでしょう。

・額縁に入ってるから良い絵に見える。
・良い絵だから額縁に入っている。

これは、同じように見えて、意味合いが全然違います。


本当に、絵に自信があるのであれば、
額縁に入れることをお勧めします。
良い絵なら、きっと額縁なんかには負けませんよ。(^^)
2007.12.30(Sun)17:01|しま編集Top↑

#5 Not Subject

みんな の プロフィールは、アクセスアップをお手伝いするサイトです。
http://blog.livedoor.jp/meannano/


より多くのひとに貴方のブログを見てもらえます。
2008.01.02(Wed)09:50|みんな の プロフィール編集Top↑

#6 借り物の額

いやぁ、かげうらさんの発想、おもしろいです。
額に入れるのを拒むお友達が有名になったら、もしかしたら毎回名前を変えたり匿名で作品を発表するかもしれませんね(笑)冗談はさておき、有名になるというのは、良い額を借りて来てポンと入れるというのとは違って、歳月をかけて自分自身が名前ににじみ出るものですから、そういう額は借り物の額とは意味が全く違うでしょうね。
額なしで展示というのは有りだと僕は思います。額に入れた方がより良く見えるからという見せ方も正しいと思います。見せ方にまで作者のこだわりを入れるというのも面白いですね。
厄介なのは、高い額に入れれば良い作品だと思い込んでしまう見る側と、そういう人達を相手に見せようとする媒体のほうだと思います。「展覧会に飾られるような絵」という概念も、確かにある種の「額」ですよね。でもお友達の場合は単に「良い額に入れりゃあいいってもんじゃない」という抵抗を挑戦的になさっているのでしょうね・・・。
2008.01.04(Fri)11:42|morito編集Top↑

#7 Not Subject

しまさん

はじめまして。景浦(かげうら)といいます。コメントありがとうございます。
フェラーリについてはまったくもってその通りで、結局のところ額縁の中に飾られた絵も含めて、他人に伝わるものです。
中身が違えば、額縁が同じでも受け取り方はまるで違う。

KOJIさんのところの記事でもコメントしたりしているのですが、結局のところ大事なのは本質であり、最近の社会は額縁に踊らされすぎているのではないかという皮肉でもあったりします。

ちゃんとフェラーリに乗っている人も見ることが大事なのですが。


moritoさん

KOJIさんのところとあわせて、コメントありがとうございます。
名前、ブランド、ともに歳月を重ねてにじみでるものがしっかりとしたものだというのはまさにその通りで、しかし最近はそれを背負うというよりも、利用している側面のほうが強い気がして悲しいですね……。

このブランドで、この展示会で、この名前で、モノを作るという重み。

今の時代、看板を背負うという感覚は、もう古いものなのでしょうか。


2008.01.05(Sat)00:45|景浦編集Top↑

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額縁の中の世界

友人は絵がうまい。
出展もしている。

だけど、友人は絵を額縁に入れることがない。

ちょっと前、その絵を描いている友人と額縁について話した事があった。
その友人が言うところによると、額縁さえあればどんなへたくそな絵だろうとすばらしいような絵に見えてしまうのが嫌で額縁にいれず出展しているとの事だった。

あー、なるほど。実に堅実でエゴイズムな友人らしい意見で面白かった。(褒めています)

ひとつ想像してみよう。
幼稚園児B君の描いたクレヨンの絵が、大判印刷されて駅前のポスター群のひとつとして飾られている。

同じように、くだもの缶のラベルに貼られてスーパーの売り場に並んでいる。

雑誌の表紙を飾り、本屋さんに平積みされている。

B君の絵は学術的にも美術的にもなんの価値も無いものだが、ひとつ媒体が変わるだけで受け取る側の理解が一変する。それは何も広告とかポスターとかラベルという媒体に限らない。環境をもその判断を変えてしまう。

美術館で、

お絵かき教室で、

病院で。

むしろ、媒体というよりも環境そのもののほうが強い。
友人は額縁という枠組みは拒絶したが、展示会という額縁には入れられている。もし、純粋にこの絵を見て欲しいと考えていたとするならば、残念ながら叶っている願いではないだろう。

環境という額縁はそれほど強い。だからこそうまく使えばすばらしい効果が期待できるのだが……。なんだが最近その額縁があまりにマイナス方向に使われすぎているような気がする。

その典型がブランドだ。

商品というものは基本的にブランドという額縁を背負い販売されている。時には店という額縁までしょって売られている。人はその額縁も含めて商品のよしあしを判断しているのだから、赤福や白い恋人などはなんとも言えない。

額縁は使いようによって毒にも薬にもなる。
そして額縁とはモノがこの世に出た時点で必ず付きまとう。
人にもコトにも。

友人がもし有名な画家になったら、その名前すら額縁になる。
その時友人はどするのだろうか。
スレッド:デザイン|ジャンル:学問・文化・芸術
コラム12.30(Sun)01:01コメント(4)トラックバック(0)Top↑
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#4 Not Subject

はじめまして、しまと申します。
KOJIさんのところからきました。

少し記事を読ませてもらいましたが、
なかなか、面白い記事をかかれてたので、
足跡を残させていただきますね。

ちなみに額縁についてですが、
仮に私がフェラーリに乗ってたとします。
すると、周りの目は、『フェラーリに乗ってるぐらいだから、
凄いやつなんじゃないか』という目で見られることでしょう。
例え私が全然凄くなくてもです。

今度は逆に私がなにか大きな事業で成功して、
フェラーリを手に入れたとします。
すると回りは、『あれだけ稼いでるんだから、
フェラーリなんだな』というような目線で見られるでしょう。

・額縁に入ってるから良い絵に見える。
・良い絵だから額縁に入っている。

これは、同じように見えて、意味合いが全然違います。


本当に、絵に自信があるのであれば、
額縁に入れることをお勧めします。
良い絵なら、きっと額縁なんかには負けませんよ。(^^)
2007.12.30(Sun)17:01|しま編集Top↑

#5 Not Subject

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より多くのひとに貴方のブログを見てもらえます。
2008.01.02(Wed)09:50|みんな の プロフィール編集Top↑

#6 借り物の額

いやぁ、かげうらさんの発想、おもしろいです。
額に入れるのを拒むお友達が有名になったら、もしかしたら毎回名前を変えたり匿名で作品を発表するかもしれませんね(笑)冗談はさておき、有名になるというのは、良い額を借りて来てポンと入れるというのとは違って、歳月をかけて自分自身が名前ににじみ出るものですから、そういう額は借り物の額とは意味が全く違うでしょうね。
額なしで展示というのは有りだと僕は思います。額に入れた方がより良く見えるからという見せ方も正しいと思います。見せ方にまで作者のこだわりを入れるというのも面白いですね。
厄介なのは、高い額に入れれば良い作品だと思い込んでしまう見る側と、そういう人達を相手に見せようとする媒体のほうだと思います。「展覧会に飾られるような絵」という概念も、確かにある種の「額」ですよね。でもお友達の場合は単に「良い額に入れりゃあいいってもんじゃない」という抵抗を挑戦的になさっているのでしょうね・・・。
2008.01.04(Fri)11:42|morito編集Top↑

#7 Not Subject

しまさん

はじめまして。景浦(かげうら)といいます。コメントありがとうございます。
フェラーリについてはまったくもってその通りで、結局のところ額縁の中に飾られた絵も含めて、他人に伝わるものです。
中身が違えば、額縁が同じでも受け取り方はまるで違う。

KOJIさんのところの記事でもコメントしたりしているのですが、結局のところ大事なのは本質であり、最近の社会は額縁に踊らされすぎているのではないかという皮肉でもあったりします。

ちゃんとフェラーリに乗っている人も見ることが大事なのですが。


moritoさん

KOJIさんのところとあわせて、コメントありがとうございます。
名前、ブランド、ともに歳月を重ねてにじみでるものがしっかりとしたものだというのはまさにその通りで、しかし最近はそれを背負うというよりも、利用している側面のほうが強い気がして悲しいですね……。

このブランドで、この展示会で、この名前で、モノを作るという重み。

今の時代、看板を背負うという感覚は、もう古いものなのでしょうか。


2008.01.05(Sat)00:45|景浦編集Top↑

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