私たちが日常的に見る週刊誌。
その大半が、私たちを見つめているのは、客観的に見るとすごい話だ。
ほとんどどの雑誌、ファッション誌、テレビ雑誌、ゴシップ誌、はてはコミック誌も私たちを見つめている。私たちと目を合わせ、話しかけようとするかのようにコミュニケーションをはかる。
今回はその「視線」について。
話をするとき、相手の目をしっかり見て話す人と見ないで話す人では、印象に大きく差が出る・・・・・・、というのはよくある話。
そりゃあ、面接だろうと日常会話だろうと、目を合わせないっていうのは、なんともいやなことだ。特に私はメールをしながら話を聞く人がだいっきらい。
と、自分のことはさておき、それでも目を見るというのは、一つの大きなコミュニケーションの要であるのは間違いない。
そして、目を離して話す人というのは、こちらに興味がないように思わせることの典型だ。最悪「無視」されていると思われても仕方がない。
だから「目をそらした人物」というのは雑誌におけるタブーなのか?
もちろん、詳しいことはわからない。
でも、小説や映画というメディアと対比させてみると結構面白いことが見えてくる。
雑誌というのは基本的に主人公が消費者であり、それに対し小説や映画には決まった主人公が存在している。これは、映画において主人公視点で相手と話すのと、第3者視点(カメラ視点)で主人公が相手と話す、という状況の違いに似ている。
前者では主人公の感情移入度込みでの相手との話が大事であり、後者は相手と主人公が話しているという客観的な視点が大事だ。
つまり、消費者(主人公)と表紙の人物(相手)という相互関係があるからこそ、表紙は私たちを見つめる必要があり、目をそらすということは興味をそらすことに直結する。
映画や小説は主人公が別に存在する分、ストーリーや世界観を重視したものが表紙として選ばれる。時には哀愁漂ううつむき加減の人物など。
性質上仕方がないことなのかもしれない。
でも、つまらない。
どれもこれも、私を見て! 的な表紙ばかりだと、逆になえてくるんじゃないか・・・・・・。
うつむき加減でおとなしそうな、ちょっと恥ずかしがりやさんのほうが、案外今の時代うけるんじゃないかなぁ。とどうでもいいことを考えたり。