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10.12(Sun)06:34|コメント(-)|トラックバック(-)|Top↑
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改装

更新頻度が少なくなる一方ですが、違う活動(CG・ムービーなどの製作)などにあわせて、その辺と統合することにしました。
右のプロフィールからHPにいけます。

blog自体はデザイン関係という、基本的なコンセプトはあんまり変わんないですがー。日記も付けるようになるのかなぁ?
とりあえずニュースサイトで無くなる事は確実かと。

日記03.29(Thu)05:12コメント(0)トラックバック(0)Top↑
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対価のデザイン

■ ゆめみ、ケータイ向け漫画配信事業に参入 - CNET Japan

上記の記事は実のところ、この話とあんまり関係がありません。
最近ケータイなどのオンライン配信事業が増えたなぁ。でも、インターネットで金銭使用ってなんだかなぁ、という話題について考えたかっただけで。

さて。私はお金に対して、現代的にどちらかといえばシビアな考え方を持っているほうじゃないかなぁ〜? と思います。まあ、そのシビアさというのが、ただ単にクレジットカードとかキャッシュカードが嫌いというようなものなんですが。

何が嫌いか、って言われれば「実感が無い」っていうのが何を差し置いても一番嫌い。

お金を使う時。お金を受け取る時。
親からお小遣いをもらっていたときでさえ、そう。

自分の身銭を切っているという、ある種の危機感みたいなものが無いっていうのが、時々ものすごく怖い。

この前、初めてインターネットで通販をしました。通販でしか買えないどうしてもほしいCDを買いました。そのとき、初めて銀行振込というものを体験してきたのですが。銀行振込って、窓口で申し込むよりATMのほうが300円も安かったんですね。そのときは良く分からなかったので、簡単で安いのだというATMで済ませましたが。

ATMは音も無く、私の通帳からお金を引き出し、他人の通帳にお金を振り込みました。

私はまだちゃんと聞いたことが無いのですが、ネット上で買い物をすると効果音が流れるってありますよね。あれはもしかしたら、ネット上の金銭感覚というデザインに危機感を抱いたデザイナー(プログラマーかもしれないですが、ここではあえて)が作った、ささやかな反抗じゃないかなぁと。

でも、足りない。危機感が。
こんな言い方は悪いかもしれないですが、ある種ゲーム的。
ゲームの効果音にもよくお金を払ったときに「チャリーン」とか音が鳴りますけど、いくら銀行に現物があってもデータ上に○○万円とか書いてあるだけだったら、それはゲーム上の通貨とほとんど変わらない気がする。

水道料金などの引き落とし払いも、領収書という薄っぺらい紙がくるだけで、危機感が足りない。

まるで、崖の周りを柵で覆い隠し、美しい景色だけを見るかのように。

どうしたらいいだろうか。
美しい景色は、崖から眺めるからこそ映える。
それは、お金にとっても同じはずだ。

パスワード入力では、作業的になってしまってダメじゃないだろうか。
生々しく、お金のグラフィックを表示しようか。
何か、大事でちょっと面倒な過程を追加してようか。
でも、利便さを失ったら、この危機感のデザインは誰も使わない。
矛盾の共存。
数値上の利便さではなく、人間関係のように面倒さと楽しさの共存する生の質感がほしい。
もともと、お金を使うという行為はささやかながら面倒なもの。財布からお金を取り出し、値段にあわせてお札やら小銭やらを探さないといけない。

「楽jに対する、危機感を。ソレが無いと、対価のデザインは成立しそうに無い……。
スレッド:デザイン|ジャンル:学問・文化・芸術
ニュース03.09(Fri)03:23コメント(0)トラックバック(0)Top↑
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能動的に見る広告

広告って、基本的に受動的なモノだ。
ターゲットが「見たいから見る」なんていう広告の名のつくものはかなり少ない。強いてあげれば、googleの検索広告くらいしか思い浮かばない。受動的なものだから、CMなどに慣れてしまった最近の消費者は、広告という刺激的なものを見ながらも、ほとんどが何も感じない。

先週あたりに、「地域産業と中小企業のデザイン戦略」というような(うろ覚え)タイトルの講演会に行った来た。そのとき、印象に残った広告戦略の話がある。
その話をしてくれた人は、とあるデザイン系会社・商品のプロモーションを行ったのだけれど、その手法が能動的に見ることができる広告だった。

実際に何をしたのかといえば、ただマスコミ・雑誌・業界関係者などに向けて「発表会」を行っただけという、聞くだけならば広告には程遠いものだった。だけど、効果はその辺のTVCMや雑誌広告よりも、刺激的で印象的なものだと(実際に生のメディアで見たわけではないが)思う。

発表会を行った後日、その商品や会社が発表会に来ていた雑誌関係者の手によって、デザイン関係雑誌の記事にされていた。もし自分がその雑誌を買っていたら、その辺の雑誌広告よりも能動的にその記事を読んだだろう。

ここで、一つ自分は広告というものの誤解に気づいた。広告というとどうしても、雑誌余白を埋めるようなの一ページや、駅の構内に漠然と張られているポスター、TVの穴埋めをするように流れてくるフィルムみたいなものだと知らず知らずのうちにとらわれていた。いや、もちろんそれはれっきとした広告という名のつくものなのだけれど。

だけど、広告って「消費者に情報を伝える」ということが若干意味は違えど目的で、それを考えるなら手法は違えど雑誌の一記事も広告となんら変わりは無い。そう考えれば新聞だって、政治の状況を伝える広告であり、テレビ欄もテレビCMと大差無い。

むしろ、人が求めているか求めていないか、広告主が能動的か受動的かの違いだけのように感じる。

効果はあるのだけれど、しかしまぁなんというか皮肉的だなぁと。広告会社でその道のプロが躍起になって作ったものには目もくれず、広告とは専門外の人がターゲットにより強く影響を与える。
もちろん、広告なんてそうそう誰もが見るもんじゃないとは思っているけれど。

……雑誌は広告を載せるから資金をください、よりも記事を書くから資金をくださいのほうがマシなんじゃね? と思ったり。まあ、報道の自由とかその辺は置いておいて。


しかしまぁ、そう考えるとエンターテイメントに徹した広告はある意味正しいものだなぁと思えてくる今日この頃。
スレッド:デザイン|ジャンル:学問・文化・芸術
コラム03.06(Tue)21:17コメント(0)トラックバック(0)Top↑
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