
雪道では、前の人が通った足跡をなぞるように歩くことたびたびある。
雪国に住んだことがある人なら、きっと経験がある話だろう。
なんでか? って考えれば、簡単に答えの出る話ではあるが、ずばり「通りやすいから」に他ならない。
まだ、何も踏み荒らされていない雪道を歩いていくのは、なかなか体力のいる話だ。雪が靴に入ることもあるし、溝が埋まっていてそこに足を踏み入れてしまうこともある。
でも、誰かの足跡があれば、それはだいたい正解の道であり、歩幅の合わなさには目をつぶるにしても、十分道しるべになってくれる。
とまあ、雪国での生活方法みたいな話ではあるけれど、本題はそこではない。
人の跡、がデザインにおいて重要ではないか、ということ。
そのいい代表例が、包丁やフライパンなどのグリップだろう。実用的ではないが、形的には拳銃のグリップが想像しやすいかもしれない。
それらは、手の形がすっぽりと納まるようにデザインされているものではあるが、その形状は粘土を掴んだ時のモノに近い。
つまり、手の跡だ。
大きさの違いはあれど、これほど手に馴染む形は無いだろ。
また、跡は何も手とか足だけではない。
ちょっと方向性は変わってしまうが、広告バナーも跡を応用したものがよく見られる。
マウスポインタのグラフィックが載っている広告バナーを見たことはないだろうか。もちろん、広告バナーなのだから、クリックすることは百も承知画も知れないが、そこがクリックするところ、と感じさせるには、それだけで十分効果があるし、誰かが押したかもしれない、という感覚が芽生えるかもしれない。(さすがにその辺は憶測)
また、伊東豊雄の建築の一つにようかんをスプーンですくった跡みたいな形の建築がある。(たしか、関東のコンサートホールだったはず)
人の手が加わったその不思議な形は、有機的なのだけれど、どこかそのコトバが似つかわしくない、もっと人に近いにおいがする。
やはりそこには足跡同様、人の跡が印象を大きく左右しているのではないだろうか。これが、PCなどで適当に造形したものだったら、このようなものにはならなかったはず。
足跡や手形とはまた違ったモノだけど、これも跡のデザインの一つ。
で、色々と跡のデザインの話をしてみたのだけれど、このことを考えてみると、前のエントリー同様、日常には山ほどデザイン要素が隠れていることが見えてくる。
私もようかんの話を聞いた後は、おやつであるプリンをすくっていると建築に見えたとか見えなかったとか。
とりあえず、今回はこの辺で。
(本当は、人による性格と跡の違いとか、モノの跡など、もっと風呂敷を広げられるのだけれど、これ以上書くと収拾がつかなくなるので……)
(そーいえば、後々アフォーダンスと跡について色々考えてみたいところ。なんか面白いことになりそう。)